2007年03月15日

稲狩りの機械化

稲刈りの実際の作業は、近年のコンバインの登場によって大きく様変りした。日本では第二次世界大戦後も久しく、鎌を用いて手作業で稲刈りが行われた。稲刈りに使用する鎌は、刃先が鋸になった特殊なもので、イネの茎の切断が容易に出来るよう工夫されている。刈り取られた稲は未だ生しいので天日干しされ、十分乾燥した頃に脱穀を行う。



コンバインは1940年代に初めて登場し、徐々に普及した。稲刈りから脱穀までの作業を一貫して行えるのがコンバインの特徴である。稲刈りから脱穀をまとめて行うが、その間籾の乾燥工程がないので、脱穀された籾は直ちに専用の穀物乾燥機にかけられる。


現在でも、山間地や棚田など大型の農業機械の導入が困難な田んぼ(圃場整備が行われていない千枚田など)では、バインダーとハーベスターを組み合わせて使用するか、もしくは鎌を用いた従来通りの作業方法が採られている。これらの農業機械は、総称して「稲刈り機」とも呼ばれる。



コンバインの普及により作業時間は大幅に短縮されたが、車両後方に排出される藁のくずが皮膚に付着すると、比較的大きな痒みや(人によっては)肌荒れが起きる為、コンバイン搭乗者以外の作業従事者は作業時の風向きに十分注意する必要がある。稲刈りを行っている農家が顔を覆うようにタオルや手ぬぐいを着用しているのは、その痒みを事前に防ぐ為である事が多い。近年は高価ではあるがキャビン(操縦席が密閉されているもの)付きの車両も登場しており、エアコンが搭載されている事も含め、搭乗者の負担は大幅に減少しているようだ。
posted by おこめたん at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 米の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黄変米の原因真菌

ペニシリウム・シトレオビライデ(Penicillium citreo-viride、シトレオビリデと表記される事もある、当初はペニシリウム・トキシカリウムと名付けられていた)
毒素としてシトレオビリジンという神経毒を生成し、呼吸困難・痙攣を引き起こす。
ペニシリウム・シトリヌム(Penicillium citrinum、シトリナムと表記される事もある)
毒素としてシトリニンを生成し、腎機能障害・腎臓癌を引き起こす。
ペニシリウム・イスランディクム(Penicillium islandicum、イスランジウム、イスランジクム、イスランジカムと表記される事もある)
毒素としてシクロクロロチン(イスランジトキシン)、ルテオスカイリン、を生成し、肝機能障害・肝硬変・肝臓癌を引き起こす。
以上の3種が黄変米の原因となる主要なカビである。この他にも黄変米には必ずしも直結しないが、マイコトキシンを生成するペニシリウム属のカビとして以下の物が知られている。

ペニシリウム・イクパンザム(Penicillium expansum)
ペニシリウム・シクロピウム(Penicillium cyclopium)
ペニシリウム・パツルム(Penicillium patulum)
ペニシリウム・ルグローザム(Penicillium rugulosum)
ペニシリウム・ビリディカータム(Penicillium viridicatum)
posted by おこめたん at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | お米に関する用語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黄変米とは

人体に有害な毒素を生成するカビが繁殖して黄色や橙色に変色した米のこと。

主としてペニシリウム属(Penicillium)のカビが原因となる。カビ自体は有害なわけではないが、カビが作り出す生成物が肝機能障害や腎臓障害を引き起こす毒素となる。カビ毒をマイコトキシンと総称するが、総じて高温に強く分解が困難なため加熱殺菌によりカビ自体を死滅させても毒素は無毒化されずに残存してしまう。黄変米はカビの拡散を防ぐ為と毒素分解の必要性から高温で焼却して廃棄するのが最善の処理方法である。

posted by おこめたん at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | お米に関する用語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月14日

二期作とは

二期作とは、その耕地から年2回同じ作物を栽培し収穫すること。

一般的には米についていうことが多いが、トウモロコシやジャガイモ、ブドウなど他の作物の場合にも、「二期作」という用語が用いられる。

米の二期作については、高知県や宮崎県、鹿児島県、沖縄県など年間を通じて温暖な太平洋側の地方で多く見られる。台風の影響を避け、多くの収穫を上げる目的で行われてきた。ただ最近では、米の生産量がその需要に対して過剰となっている状況から、それほど盛んに行われなくなっている。

高知平野は二期作で知られる。たとえば、1回目は3月中に籾蒔きをし7月中に収穫され、2回目は7月中に籾蒔きし11月ごろに収穫されることになる。
posted by おこめたん at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | お米に関する用語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1994年から

生産調整が強化され続ける一方で、転作奨励金に向けられる予算額は減少の一途をたどり、「転作奨励」という手法の限界感から、休耕田や耕作放棄の問題が顕在化し始めた。

このような状況の中、食糧管理法が廃止されて食糧法が施行され、制度が下記の様に大幅に変更された。

政府の米買入れ目的は価格維持から備蓄に移行。これに伴い、買入れ数量は大幅に削減。
米の価格は原則市場取引により形成。
生産数量は原則生産者(実際は農業協同組合を中心とする生産者団体)が自主的に決定。この際、転作する面積を配分する方法(ネガ配分)から、生産できる数量(生産目標数量)を配分する方法に移行。(農家段階では、生産目標数量は作付目標面積に換算されて配分(ポジ配分)。)(ポジ配分は2004年から本格実施。)
なお、当面は国による配分も平行して行われ、生産者の自主的な生産調整に完全移行する時期は、2006年現在では未定である。
posted by おこめたん at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 米の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1970〜1994年

米の在庫が増加の一途をたどったため、政府は、新規の開田禁止、政府米買入限度の設定と自主流通米制度の導入、一定の転作面積の配分を柱とした本格的な米の生産調整を1970年に開始した。

制度的には「農家の自主的な取組み」という立場を取っているが、転作地には麦、豆、牧草、園芸作物等の作付けを転作奨励金という補助金で推進する一方で、稲作に関する一般的な補助金には、配分された転作面積の達成を対象要件とするなど、実質的に義務化された制度である。また、耕作そのものを放棄することは農地の地力低下、荒廃につながることから、転作面積とはみなされない。

一方、国内各地で生産拡大のための基盤整備事業が行われている最中でもあったため、稲作農家の意欲低下、経営の悪化につながるとして強い反発が各方面であった。その中でも、国の干拓事業によって誕生した秋田県大潟村の入植者が、生産可能面積の取り扱いを巡って長年にわたり国と対立した事件などは特に有名である。

農家によっては、積極的に転作に取り組むことによって農業構造の転換を図ろうとする者もいたが、多くは米を引き続き栽培するためにやむを得ず転作を受け入れるという立場をとった。また、生産調整の導入以降も、生産技術の向上により反収が増加したために生産量はそれほど減少しなかった。

一方で、米の消費量減少には歯止めがかからず、1985年と1994年(それぞれ凶作により米の緊急輸入があった翌年。1993年はいわゆる平成の米騒動の年)を除いては、一貫して転作面積は増加(生産調整の強化)し続けた。

生産調整が導入されて以降、産地毎の転作配分面積に傾斜をつけたり、特定の作物栽培や、転作の団地化を奨励するための金額加算制度を追加するなど、制度は毎年のように変更が加えられ、複雑化した。制度変更の都度、農家の反発、混乱が報じられ、猫の目農政と言われる批判の代表的なものとなった。
posted by おこめたん at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 米の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦後から1960年代

戦後は農地改革により自作農が大量に発生し、食糧管理法(食管法)によって米は政府が全量固定価格で買い上げること(政府米)となっていたため、農家は生活の安定が保証されたことから、意欲的に生産に取り組むようになった。また、肥料の投入や農業機械の導入などによる生産技術の向上から生産量が飛躍的に増加した。一方で、日本国民の食事の欧風化などに伴って、米の消費量は漸減したため、政府が過剰な在庫を抱えることとなった。

もともと、買取価格よりも売渡価格が安い逆ザヤ制度であったことに加え、過剰となった在庫米を家畜の飼料などに処分した結果、歳入が不足し赤字が拡大した。
posted by おこめたん at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 米の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦前の日本における米の反収

戦前の日本における米の反収は、300kg/10a前後と現在の約半分であり、またしばしば凶作に見舞われていた。1933年には作況指数120を記録し、米の在庫が増加したことにより「限反」方針が打ち出された事があるが、翌年東北地方において、冷害から凶作・飢饉が発生したこと、以後は、戦時体制の突入や敗戦による植民地などからの米の移入途絶も相俟って、米の生産調整が行われることは無かった。
posted by おこめたん at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 米の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

減反政策

減反政策(げんたんせいさく)とは、日本における米の生産調整を行うための農業政策である。基本的には米の生産を抑制するための政策であり、具体的な方法として、米作農家に作付面積の削減を要求するため、「減反」の名が付いた。
posted by おこめたん at 09:37| Comment(0) | TrackBack(1) | お米に関する用語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1993年米騒動

1993年(平成5年)に起こった「1993年米騒動」の影響で同年後半から翌1994年にかけて日本国内の米が著しい供給不足(当時よく用いられた表現では「コメ不足」)となり、価格の暴騰・外国産米の緊急輸入などが起きて食糧管理制度の脆弱性に対する非難が増加した。このため、政府による管理を強化する一方、農家でも米を直接販売できるようにするなど、政府はそれまでの方針と異なる方向への運用改善を余儀なくされた。この政府の管理は食管法が廃止される直前の1995年10月まで続けられた
posted by おこめたん at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 米の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。